「 フィールドワーク ④ 」実施報告
平成21年11月28日(土)、
第四回フィールドワーク 『 水城西門・東門バイパスルート 』
を開催いたしました。
西門ルートが鴻臚館と大宰府を結ぶ外国使節等を迎える迎賓道路だったのに対し、東門ルートは山陽道や博多の港から大宰府に通じるいわば通用ルートだったのでしょう。
平安時代も中頃になるとあまり外国にカッコウつけなくてもいい頃になったのでしょうか。
鴻臚館や壱岐対馬路から最短距離で大宰府に入るため、西門ルートの途中から東門ルートにバイパスするルートができたようで、この道はその後も使われてきました。「西の宰府みち」もほぼこのルートです。西鉄井尻駅から地禄神社、本行院を経て、筒井の地名のもとになった「筒井の井戸」などを経て、水城東門まで辿りました。
吉留秀敏氏の解説。参加二十五名。







第四回フィールドワーク 『 水城西門・東門バイパスルート 』
を開催いたしました。
西門ルートが鴻臚館と大宰府を結ぶ外国使節等を迎える迎賓道路だったのに対し、東門ルートは山陽道や博多の港から大宰府に通じるいわば通用ルートだったのでしょう。
平安時代も中頃になるとあまり外国にカッコウつけなくてもいい頃になったのでしょうか。
鴻臚館や壱岐対馬路から最短距離で大宰府に入るため、西門ルートの途中から東門ルートにバイパスするルートができたようで、この道はその後も使われてきました。「西の宰府みち」もほぼこのルートです。西鉄井尻駅から地禄神社、本行院を経て、筒井の地名のもとになった「筒井の井戸」などを経て、水城東門まで辿りました。
吉留秀敏氏の解説。参加二十五名。






